少し長くなりますが、音楽の出逢いから今に至るまで綴ってみます。ご興味ある方はお付き合いください。
母は姿勢改善の為に私をバレエ教室に私を連れて行きました。
2年ほどバレエ教室に通っていましたが他の子と比べて上手くなく自信がありませんでした。
そこで知り合いの方が紹介してくれたのがピアノでした。
出逢ったピアノ教室、そして今の私の原点となる1人目のピアノの先生との出逢い。
先生は子ども達の自主性を尊重し、とにかく、子ども達が興味を持ちそうなことをたくさんレッスンに取り入れていました
最初に習った先生は学校の先生でピアノが専門では無いけれど本当に一生懸命教えてくれました。
年に1度プレゼントがありメモ帳等をいただきました。
先生の温かいお気持ちが励みとなりました。
好きな曲を弾けるようになりたい!だったらどうすれば良いのか?
幼少期から、その答えを自分で導き出せるように、どんなに小さな子どもであっても、先生は本気でレッスンしてくださっている。
それが小さいながらも理解出来るほどでした。
アップライトピアノを買ってくれた今は亡き祖母には感謝しかありません。
本格的にピアノを勉強したいと思った時は母がグランドピアノを用意してくれました。
今も教室に置いてあるピアノはそのピアノです。
30年ほど経っていますが音や質は良いと思います。
2人目の先生は音大を卒業したピアノ専門の先生。
中学の発表会ではドビュッシー「月の光」ショパン「別れの曲」を弾きました。
音楽を心で表現できる様になるまでの日頃のレッスンは厳しいのは当たり前!
でも、そのレッスンが嫌だと思ったことは全くありませんでした。
子どもが「やりたい!」と言ったことを、頭ごなしに「ダメ」とは言わず応援してくれたのは、両親です。
本当に感謝しています。
<小学生>
卒業文集にピアノの先生になりたいと書く音楽大好き!な子どもでした。
鼓笛では太鼓を叩きリズム感を養いました。
「エリーゼの為に」を弾くことが憧れでした。
<中学生>
入部した吹奏楽部で打楽器に出逢い、アンサンブルの魅力にどっぷりハマりました。
あれだけ頑張っていたピアノの練習が、部活メインの中学校生活のためうまく両立できなくて悩みました。
中3クラス合唱で伴奏をしました。
中2の時、名古屋在住ピアニストの山崎晴代先生のお宅に月に数回習いに行くことになりました。
グランドピアノが3台も置いてある素敵なレッスン室!
先生のお宅に伺うには電車とバスを乗り継いで1時間ほどかけて通いました。
先生の指導法は素晴らしく毎回のレッスン内容を必ずノートにまとめました。
先生のコンサートを必ず聴きに行き先生の弾いた曲を弾きたいと思い練習に励みました。
厳しいレッスンで涙することもありましたが、母がレッスンの帰りに泣いている私を見かねてケーキを食べさせてくれたのを覚えています。
とにかく先生のレッスンは質が高く私の憧れの存在でした。
高校はいったん別の先生に習い大学で再び山崎先生の門下に入りました
<高校生>
進路は音楽科のある高校へ。
新しいピアノの先生と出逢いました。
そこから、自分の力の無さを色々な場面で嫌という程、感じる事になります。
年に4回の実技試験と副科の声楽試験をこなすには、ひたすら学校と家の往復でした。
部活はやる暇がないので帰宅部でした。
試験前は1日6時間練習したこともあります。
試験ではピアノ科の他の子たちの前で弾くのでとにかく緊張しました。
順位が出るので周りの友だちも常にライバル。
3年間同じクラスでいつも競争社会でした。
でも文化祭で遅い時間まで残り準備をしたことや定期演奏会でのピアノ2台演奏、成績優秀者が出れる卒業演奏会に選ばれたのは最高の思い出です。
卒業演奏会はリストの「超絶技巧練習曲10番」を弾きました。
<人生で一番 練習した大学生>
そして名古屋音楽大学に入学しました
ピアノ科の生徒は90人近くいました。
3年の秋、学内コンサートで大好きな山崎先生とグリーグのコンチェルトを2台ピアノで演奏しました。
先生のサポートのおかげで無事演奏できました。
在学中たまたま、楽譜を買いに行ったカワイ楽器店で社長に声をかけられ講師として学生時代からピアノを教えることになります。
他にも、学業の合間に児童合唱団の伴奏やレストランのピアノ演奏をしていました。
まさに音楽漬けの毎日でした。
お世話になった恩師へ、感謝と尊敬の念を込めて・・・
講師になった私の目指す指導スタイルは「丁寧に本気で」です。
何か趣味を持つことは大事だと思います。
音楽(ピアノ)はお家で、しかも個人で楽しめるので、まさに今の時代に合った習い事ではないでしょうか。
当音楽教室がその助けになれば幸いです♪
義務教育の学校だけが生きる世界の全てではありません。
当スクールが家の外から出かけるきっかけになれば、こんなに嬉しいことはありません。
経験した親だけが分かる苦しみも、一緒に分かち合いたいです。
ピアノが弾ける様になるには、長い年月が掛かるものです。
時には練習が嫌になったり、思う様に弾けなくて落ち込んだりする事もあるでしょう。
そんな時、私は側で励まし、少し先を照らす存在でありたい。そう、まるで暗闇を照らす月の光の様に…。
そんな想いを月のロゴに込めました。